主人公は、タイトルの通り靴をはいた小さな貝・マルセル。
Airbnbでおばあちゃん(これも同じく貝。)と一緒に暮らしている。
テニスボールの中に入って部屋中をかけ回り、木の枝にくくりつけた紐をつなげたミキサーのスイッチを入れて木をゆすって食用のフルーツを落とし、靴の裏にメープルシロップをつけて、壁をのぼり、夜は食パンのベッドで眠る。部屋にいたら気がつかずに踏んづけてしまいそうなくらい小さなマルセルは、家の中にあるものを、わたしたちが思いもつかないような方法で、上手に使いこなしながら、暮らす。マルセルの様子を密着するように映し出す冒頭部分は、まるでマルセルのモーニングルーティーンを見ているようだった(人間のそれより何倍も面白い…)。見ているこちらには目新しい行動を、マルセルはそれ知らぬ顔で、当たり前のようにこなしていく。もうこの時点で観ている人は、マルセルが大好きになってしまうと思う。
大きな目を持つ可愛らしい貝なんて、見たことないはずなのに、自分の部屋に貝がいる光景を想像してしまう。ほんとうはいるはずがない貝だけど、もしかしたら存在するのかもしれない。
本作が見た人をそんな気持ちにさせるのは、マルセルがとある撮影技法によって撮られているため、「ほんとうに存在していた」と言えるからだ。
その技法は、CGなどの技術を一切使わずに、ストップモーションというやり方で、マルセルを動かしているものだ。実際にマルセルそのもののフィギュアを、人の手で少しずつ動かしながら画像を撮影し、その画像を繋げて映像にすると、マルセルがちょこちょこと動くようになる。だからその舞台セットの中に本当にマルセルがいて、人間との会話も、おばあちゃんとの会話も、その場で行われていたのだ。それが、マルセルをよりリアルな存在にしている。
住んでいる国も違うし、年齢も性別もよくわからないし、貝だし、共通点がなさすぎるのに、マルセルが悩む時、嬉しい時、ちょっとした仕草に共感してしまう。
おばあちゃんと平穏に過ごす日常に守ることと、家族を探す冒険に出ること。そのジレンマというか、臆病さというか、優しさというか、あのマルセルが抱えていた葛藤に、自分の今が重ね合わせられた。でも、「わたしを言い訳にしないで」というおばあちゃんの優しくて厳しいアドバイスは、マルセルだけじゃなくて、わたしにも向けられていたと、その時本気で思った。「わかったよ、おばあちゃん!」と言って、映画館を飛び出して、臆病さを言い訳に踏み出さなかった1歩を、踏み出したくなった。
そしてもう一つ、この映画を観ていて、というより、マルセルを見ていて感じたのは、「セルフコンパッションを大切にしよう」ということ。
貝なんだけど、どこか達観した姿勢を持っているマルセルは、自分の感情に向き合い、理解しようとしていたと思う。例えばともに暮らしていた仲間と別れた悲しみ、外の世界に踏み出すことへの不安、テレビの取材を受けた時の照れ…そういう自分にも身に覚えのあるいろいろな感情が、マルセルの小さな体に溢れているように感じた。
小さな貝マルセルは、人間に比べて、体の中で感情が占める割合が大きく感じられるからこそ、体と心、その二つのバランスを取ること、どちらも健康であること、大切にすることが大きな意味を持つんだと、観てる人に思わせるのだと思う。
人間よりも遥かに小さなマルセルから、教わることはたくさんある。ぜひ、1人でも多くの人が、スクリーンでマルセルと出会ってほしいなと、わたしは部屋の片隅で思っている。