メンタルヘルスとカウンセリング

essay

大学で、カウンセリングを受けた。
デリケートすぎる自分の性格を、社会人まであと少しという今の時期に、改めて向き合ってみようと思ったからだ。

担当してくれたのは、Kさんという40代くらいの女性のカウンセラーだった。はじめは自分の悩みを話すのに、少し躊躇してしまったが、Kさんがあたたかく受け入れてくれたこともあり、少しずつ恥ずかしさを忘れ、悩みを話すことができた。今感じている不安、これから社会人となる上での不安、気がつくと、自分の過去のことについても話していた。

Kさんはその間、ときにメモを取りながら、ときに簡単な質問を挟みながら、わたしの話を聞いてくれた。

会話の中で強く印象に残った言葉がある。
「なんでも一人で決められる人が強いのではない。
必要なときに、助けを求められる人が、自立した人」
というKさんの言葉だ。

昔から、繊細で感情的すぎる性格のわたしは、どんなことにも動じず、自分を強く持っている人に対して憧れの気持ちがあった。そういう人は、常に自分の判断軸を持っていて、それに基づいて迷いなく行動するから強いんだと思っていた。
それも間違いではないはずだけど、悩みがあるときには、その弱さを受け入れ、人に見せてもいい。Kさんの言葉を聞いて、そう思うことができた。

感情的すぎる性格を治すことはできなかったけど、悩みを人に打ち明けることは、悩みが悩みでなくなる最初の一歩なのかもしれないと感じることができた。


Digital Shift の記事では、アメリカと比較して、日本は自殺率の高さに対して、カウンセリングの利用率が低いことが理由として指摘されている。

つまり、精神的な不調を抱えていても、人を頼らず、一人で抱えこむことで、自殺という決断に至ってしまうケースが多い。この特徴を捉えて、記事では日本を「メンタルヘルス後進国」という言葉で表している。

たしかに、身の回りにカウンセリングを頻繁に利用しているという人はあまり聞かいないし、もしいるのだとしてもそれが日常会話の話題に上がることはなく、メンタルヘルスについて気軽に会話をする機会もほとんどない。(実際、私もカウンセリングに行ったことはどんなに親しい友人にも、家族にも話せずにいる。)

ただ、少なくない人が抱える精神疾患や、メンタルヘルスの問題が可視化されて、相談しやすい社会にするためには、まずは、一人でも多くの人が、悩みの大小を問わず、専門家や身近な人と対話をすることが当たり前の環境を作るべきだと思う。

風邪を引いて内科に行くように、虫歯ができて歯医者に行くように、些細な悩み、心の不調を察知したら、一度診てもらう・聞いてもらうだけで、安心感がもたらされるはず。少なくとも、一度カウンセラーと話した今の私は、「カウンセリングという選択肢がある」という実感、体験に心を支えられているという感覚が確かにあり、それはとても心強いものだ。


参考文献
Digital Shift Times 「メンタルヘルス後進国、日本。DXはメンタルヘルスに貢献できるのか」https://digital-shift.jp/startup_technology/220726

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