映画「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」隣にいるけどあなたはあなた

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シスターフッドムービー好きを自称する私ですが、映画「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」が魅せる新しいシスターフッドのあり方にはとても感銘を受けた。今回は、シスターフッド好き目線の本作の感想をシェア。

本作のメガホンをとったペドロ・アルモドバル監督は、「ペイン・アンドグローリー」や最近では「パラレル・マザーズ」などユニークな切り口のストーリーを、色鮮やかな映像で紡ぐ作風で知られている。
「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」は、重い病を抱えたマーサと、かつて同僚であり親友同士だったイングリッドがマーサの最期のひとときを共に過ごすというヒューマンドラマ。

安楽死することを選択したマーサは、イングリッドに彼女の最期のときを、「隣の部屋で」過ごしてほしいと頼む。2人は郊外にアパートメントを借りて、そこでともに生活をする。食事をしたり、映画を見たり、本屋へ行ったりして数日間をともに過ごす。
よく映画やドラマであるようなベッドの上で手を握り合うような親密さはないけれど、お互い「隣の部屋にはあなたがいる。何かあったらあなたを呼ぶね/呼んでね」という感覚が彼女たちを強くしているような気がした。「困った時はお互い様なのよ」というスタンスはありながらも、「基本的には自分のことは自分で責任を取り、助けを求める判断も自分でする」というさっぱりと突き放すような。それは少し切なく心細くもあり、でも同時にすべては自分次第という自由さは、これからの女性が必要とするような、しなやかな強さを表しているようにも感じられる。

ヴァージニア・ウルフは、女性が社会的に自立するためには、お金と「自分一人の部屋」が必要だと言った。それは、女性が社会と向き合うとき、男性を中心とする「世間」というフィルターを通してではなく、自分自身の物の見方を手に入れるために、世界から遮断された部屋が一つ必要だということだった。女性の連帯はもちろん必要なのだけど、究極、女性も自分1人で生きていく最低限の強さを身につけなくてはならない。だからマーサの死という極限の状況を迎えていながらも、マーサとイングリッドはそれぞれ一つずつ別々の部屋を持っている。

「隣にはいるけど、私は私で、あなたはあなたなのよ」
そんな女性同士のたくましくて温かなつながりがもっと増えたらいいなと思う。

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